ありのままの私へ

気が付けば私は空っぽでした。そんな私が、ありのままの自分を探す旅に出ました。どこにたどり着くか、まだ分かりません。独り言であり、私自身の備忘でもあります。それでもブログという形を選んだのは、私も多くの方のブログに助けられたからです。私だけじゃないんだって。

silent

コロナで自宅療養中、取り溜めていたドラマや番組を見て過ごしていました。騒がしい番組は見てても疲れてしまう。そんな時に最適だったのがドラマsilentでした。静かで暖かい。

コミュニケーションって何だろう。いつからか、私は「コミュニケーションが苦手だ」「下手だ」と思うようになっていました。職場でうまくいかなくなってきた時くらいからでしょうか。それまでは話題に困ることも無かったし、何を話せば良いんだろう?なんて考える事もなく、自然と会話が成り立っていました。大した話はしていない。たわいない話を楽しんでいました。その「たわいない話」が急に出来なくなってしまったのです。話したい話をするのではなくて、周りの空気を気にし過ぎるようになって。空気なんか読めないのに…。なので、話はふくらみません。会話はどんどん苦手になっていきました。極め付けは職場の送別会。私はそこに居るのに、居ませんでした。

何とかしないとと思った私は、コミュニケーションの学校を見つけました。オウム返しなんて話法も初めて知って。聴くこと、話すこと、色んなテクニックが有ることに驚きました。こんなにコミュニケーションを苦手とする人が多いことにも。色んな人が、人知れず悩んでることを知りました。とても苦手には思えないくらいお話上手の方も何人もいました。でも、本人は悩んでここに通っています。

ここに一年通ってコミュニケーションが上手くなったのかは分かりません。それは多分、私が求めているコミュニケーションの姿を実現出来ていないから。実現出来てる場所も有ります。苦手な場所では相変わらず苦手なまま。その苦手な場所が辛いから悩みは尽きません。

silentは言葉を発しません。私の学んだコミュニケーションは全く通じない世界。じゃ、コミュニケーションって一体何なんだろう?

「伝えたい」と「聴きたい、分かりたい」気持ちがその場に有ることに尽きるんじゃないかと思います。「伝えたい」と「聴きたい」の有るところにコミュニケーションが生まれるんじゃないかな、と。その気持ちが無い場所で、無理にコミュニケーションを取ろうって頑張らなくて良いんじゃないかな。そう思うと、少し楽になれるかもしれません。