ありのままの私へ

気が付けば私は空っぽでした。そんな私が、ありのままの自分を探す旅に出ました。どこにたどり着くか、まだ分かりません。独り言であり、私自身の備忘でもあります。それでもブログという形を選んだのは、私も多くの方のブログに助けられたからです。私だけじゃないんだって。

安全な場所

先日お花見に行きました。お天気にも恵まれて絶好のお花見日和。趣味の習い事で一緒の方々。最近は忙しくてなかなか出席できてなくて、1人での参加にドキドキしながら向かいました。皆んなと一緒のお花見に参加したいけど、どこか不安な私がいる。悩みに悩んでの出席。今日は大丈夫かな。皆さんとちゃんとお話しができるかな。相変わらず、そんな不安を抱えながら。

近くの方が早くから場所取りをしてくださり、既に会は始まっていました。皆さんに笑顔で迎えられて、心の緊張もほぐれてきます。不思議です。言葉も自然と出てきます。それがとても嬉しい。いつもと全然違う私。同じ私なの?かと自分でも不思議なくらい。

人が発している気持ち。見えないけど、その場を満たしていると私は考えています。言葉にはしないそれぞれの感情。そこが安心できる場所か、そうではないか、自分自身が潜在意識が敏感に感じとります。自分でも気が付かないレベルで。

どこに自分を置くかは私次第。選択するのは私。残りの人生を心地良く過ごすために。

 

 

蜘蛛の巣

何てお題を付けたものの…。ちょっとした私のトリビア

家を暫く留守にすると、あっという間に蜘蛛の巣があっちこっちに。しかも見えないから、体にまとわりついて初めて気が付くという始末…。ネバネバして気持ち悪いこの上ない…。蜘蛛は何て働き者なんだろう、こんな美しい形をどうやって作ってるんだろう。

先日お友達と飲みに行って、何故か蜘蛛の話に。彼女は蜘蛛の巣が張られていくのを2時間半飽きずに眺めていたらしい!そこで、気になったのが最初の一本。一本張れれば、そこを伝って広げていける。最初の一本はどうやって張るんだろう?命懸けのダイブでもするのかしら?こんなどうでもいい話を一緒に出来る友達がいて幸せだな〜なんて思いながら。

答えは出なくて宿題に。調べた答えは「風まかせ」、何て素敵な答えなんでしょう。蜘蛛は一本糸をたらし、その先を風がどこかにくっつけてくれるのを待っている。焦らす無理せず。抗わず、肩の力を抜いて、気持ちのままに、導かれるがままに。

 

 

いつまで続くのかな…

いつまで続くのかな、この状況。やってもやっても、仕事は終わらない。気が付けば、今日も最後の一人。誰もいない職場は何にも聞こえないし目にも入らない平和な時間。でも、体力にも気力にも限界がある。最近は薬を飲んでも寝付けなくなってきた。どこまで自分をいじめてしまうのか…。

コミュニケーションは下手だし、人付き合いの要領も悪い。「何でだか助けてあげたい人」にはどうしてもなれない。放っといても大丈夫な人であり、どうでもいい人なんだろうなと思ってしまう。どうしても「助けて」が上手く言えない…。

こんな不器用な人間は辛い思いをするしかないのかな。ネットで「仕事が多すぎる、辛い」って調べたら、いろんな記事が出たきた。私だけじゃない。辛い思いをしてる人がいっぱいいる。皆んな、同じように生きるのが上手じゃない人たちばかりなのかな…。

その中で、目からウロコの記載を見つけた。『社内で極端に仕事量が偏っている人間がいたら、どう分散させるかの改善提案や意見がミーティングの場で自然に上がってくる。上司や部下が不自然さを感じ取り、仕事量を振り分ける提案をするのが健全な職場だ』これはよくよく考えれば当たり前の事だと気付かされた。この職場にいると「普通」が分からなくなる。辞めていった多くの人。その方々からも、ここの「普通」は「普通」じゃなかったって声を聞く。辞める勇気。その一歩を踏み出せたからこそ得た場所。

私はこの針のむしろで何を守っているんだろう…。

 

 

silent

コロナで自宅療養中、取り溜めていたドラマや番組を見て過ごしていました。騒がしい番組は見てても疲れてしまう。そんな時に最適だったのがドラマsilentでした。静かで暖かい。

コミュニケーションって何だろう。いつからか、私は「コミュニケーションが苦手だ」「下手だ」と思うようになっていました。職場でうまくいかなくなってきた時くらいからでしょうか。それまでは話題に困ることも無かったし、何を話せば良いんだろう?なんて考える事もなく、自然と会話が成り立っていました。大した話はしていない。たわいない話を楽しんでいました。その「たわいない話」が急に出来なくなってしまったのです。話したい話をするのではなくて、周りの空気を気にし過ぎるようになって。空気なんか読めないのに…。なので、話はふくらみません。会話はどんどん苦手になっていきました。極め付けは職場の送別会。私はそこに居るのに、居ませんでした。

何とかしないとと思った私は、コミュニケーションの学校を見つけました。オウム返しなんて話法も初めて知って。聴くこと、話すこと、色んなテクニックが有ることに驚きました。こんなにコミュニケーションを苦手とする人が多いことにも。色んな人が、人知れず悩んでることを知りました。とても苦手には思えないくらいお話上手の方も何人もいました。でも、本人は悩んでここに通っています。

ここに一年通ってコミュニケーションが上手くなったのかは分かりません。それは多分、私が求めているコミュニケーションの姿を実現出来ていないから。実現出来てる場所も有ります。苦手な場所では相変わらず苦手なまま。その苦手な場所が辛いから悩みは尽きません。

silentは言葉を発しません。私の学んだコミュニケーションは全く通じない世界。じゃ、コミュニケーションって一体何なんだろう?

「伝えたい」と「聴きたい、分かりたい」気持ちがその場に有ることに尽きるんじゃないかと思います。「伝えたい」と「聴きたい」の有るところにコミュニケーションが生まれるんじゃないかな、と。その気持ちが無い場所で、無理にコミュニケーションを取ろうって頑張らなくて良いんじゃないかな。そう思うと、少し楽になれるかもしれません。

 

 

コロナ陽性になって②

クリニックからの電話で、PCRの結果は「陽性」だったと報告を受けた。17日までの自宅療養。

2日目は熱が38.2度有ったけど、それからは解熱剤で落ち着いた。肋骨周りが眠れないくらい痛む。相談センターに電話するも分からないと。検査は可能だけれども、検査するには防護服の人に迎えに来てもらわないといけない。私は今、そういう立場であることを痛感。外に出ることも、人と接触することもままならない。様子をみますと終話。結局、鎮痛剤で治った。痛ければ鎮痛剤を飲めば良いんだ!

時間が出来たらやりたい事が山ほど有ったの、そんなエネルギーはどこにも無い…。少し動いては寝てを繰り返す毎日。

周囲でコロナになったスタッフが在宅勤務で働いていたのも有り、私も水曜日の午後在宅勤務にしてもらった。急にお休みになってしまったから、気になる案件もちらほら。それに休めば休むだけ仕事が溜まっていくのも怖かった。それくらいコロナの症状を軽く考えていた。少しくらいしんどくても、気合いで何とかしてきた自負も有ったのかもしれない。でも、暫くすると頭がボーっとしてきて、とても仕事に集中出来なかった。4時間働いて、これは無理だと観念した。

木曜日辺りから匂いがしていない事に気が付いた。そういえば、最近、何を食べても苦く感じて美味しくない。味覚にも異常が出てるのかも。鼻の中が常に乾燥しているようで、鼻の中で固まっているモノも血の色。粘膜に何らか異常が起こってるのかな…。それにしても、発してるハズの匂いがしない不思議。人間って、脳の指令で全ての認知機能が動いていることを実感した。脳の指令系統が断絶されてる…。

友人から着信。電話かかかってくるのは珍しいから、あれ?どうしたのかな?後でLINEに気付いてハッ!メッセージが既読にもならないから、心配してかけてきてくれたんだ。涙が出るほど嬉しかった(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)  久しぶりに声を出した。喋るって結構エネルギーが必要なんだ。元気な時には全く気付かなかった。元気な時は当たり前の事が当たり前に出来る。造作もなく。その「元気」の有り難さを噛み締めている。

 

コロナ陽性になって①

人一倍気を付けて生活していたつもりが、まさかのコロナ陽性。感染して、ネットでコロナ闘病について色々調べました。ワクチン打っても、打たなくても、その症状は人それぞれ。私も自分の備忘も兼ねて「私のコロナ記録」を残そうと思います。

 

12月9日金曜日

夕方になるにつれ、喉のイガイガが気になってくる。電話対応の多い仕事でも有るので、喉使い過ぎてしまったかな?

退社後は習い事が有ったものの、何故か気になり真っ直ぐ帰宅。いつもであれば、このくらいの痛みは気にしないんだけど、これも何かの虫の知らせだったのかもしれない。行かなくて良かった。

 

12月10日土曜日

8時起床。いつもの習慣。37.8度!えっ?まさか?ジムにも行けないので、そのまま二度寝。9時、38.2度。いよいよ疑わしい。

先週の行動を反芻してみる。家と会社の往復のみ。通勤の電車も長くはない。気になるといえば。残業帰り、隣に座った飲み会帰りのサラリーマンが、前に立つ部下二人と大きな声で喋ってた。こんな程度で移るんだろうか?お昼も殆ど個食。どこで?いつ?悔やまれる。でも、自分が移している可能性が低いことは救いだった。

10時発熱相談センターに電話。すぐつながる。土曜日受診できる近くの病院を3カ所教えて頂く。熱は39.0度に到達。喉の痛み、咳少々、節々の痛み、肌過敏。

病院は最初の2カ所は、本日の発熱外来予約はいっぱいとのこと。2カ所目の病院では熱が39度も有るのを心配して先生に変わって下さり、明日であれば診てもらえる可能性が有るクリニックまで教えて下さった。何て親切なんだろう。単純だけど、内科受診が必要になったらここに行こうと思う。

3カ所目で検査が受けられることに。お昼過ぎに向かう。徒歩たった10分の距離も長く感じる。そこは、病院というよりコロナ発熱外来用に急きょ作ったようなクリニックだった。インフルの可能性もゼロではないので、抗原検査、PCRの両方を受ける。帰宅時に、万一に備え、簡単な買い出しをする。

14時過ぎ、医師の方との電話診察。抗原検査の結果は陰性。受けたのが早過ぎたのかもしれない。PCRの結果は明日のお昼くらいに出るとのこと。

15:40処方箋の件で電話有り。配達だと20時くらいになるかもしれない。薬局まで取りに行くのが一番早いと。陽性の可能性と、今の状況では歩いて行けそうも無かったので配達で依頼。熱は高止まりで、布団から起き上がるのも辛い。

18時、待ちに待ったお薬が届く。カロナール、トラネキサム酸、うがい薬、喉のトローチ。これで楽になる。とにもかくにも熱を下げたい。お風呂に入るエネルギーもなく、22時就寝。一日中寝てたのに、眠い…。

 

 

安心して「話せる」ということ

先日記事で、ある企業が心理的安全性の考え方を職場に取り入れようとしていると読みました。従業員が安心して、自分の考えを自由に発言したり行動に移したりできるように。

私の今の職場がこの対局にあるせいかもしれませんが、その企業がとても羨ましく思いました。どんな意見でも、自分の良しと思ったことを発言できる。会社をより良くしたい為の意見、口をつぐんでしまっては勿体ない。アイデアは多い方が良い。

今の職場は、好き嫌い政治。長い人生、初めての全否定体験。凹みますね。関わるのが面倒になり、ロボットになって仕事をする毎日。せっかく来てくれた派遣さんも3日目で洗礼を受け辞めることに。誰も何も言えない。様々な個性と能力がもったいない。

これはどんなシチュエーションでも大切なんじゃないかと思います。職場でも、もちろんプライベートでも。

コミュニケーションの苦手な人は、私も含めて多くの人が感じていること。話せる人とはどんどん話せるのに、苦手な人だと何にも話せなくなってしまう…。これって、その場に心理的安全性が有るかどうかだったんですね。何となく納得しました。否定しないで話を聞いてもらえるという空気。お互いを認め合えているという空気。そんな場所が世の中に増えてくれると良いな。受け入れてもらえた方が嬉しいに決まってる╰(*´︶`*)╯♡